「批評空間 (第2期臨時増刊号) モダニズムのハード・コア―現代美術批評の地平」販売店・購入・ショップ情報。浅田 彰太田出版

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批評空間 (第2期臨時増刊号) モダニズムのハード・コア―現代美術批評の地平

浅田 彰太田出版

太田出版

 

ユリイカ 2006年9月臨時増刊号 総特集「稲垣足穂」

青土社

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様々な関係者へインタビューをして足穂の裸の姿を浮き彫りにしている。極貧時代のことや、奇妙な行動についての証言など興味深い。未発表作品も収められており、マニアにもたまらないものとなっている。足穂のメルヘンチックな部分から、少年愛、未来派、飛行機精神、宇宙論まで様々な角度からライトを当てている。また装丁が美しいので物理的な本としての楽しみ方もできる。

 

ユリイカ 特集・ソクーロフ

青土社

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ユリイカ 第32巻第9号―詩と批評 (32)

青土社

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椿説泰西浪曼派文学談議 (1972年) (ユリイカ叢書)

由良 君美青土社

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ユリイカ 2004年7月号 特集 楳図かずお

青土社

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楳図氏が書く漫画は、大江健三郎氏が好むウイリアム・ブレークよりもシュールでない分、緻密で、繊細であり、恐怖として、真に迫っているもしれない。
 しかし彼も漫画は、所詮子供向きの、子供のための、子供しか出てこない、子供の世界の話である。ストーリーとして、大人が読んで、読後感何を感じるのか、また何を感じればいいのか?幼児退行か?自身が大人であることへの、自己嫌悪か?…とにかく、閉塞的である、事は間違いない。

 

現代思想 2004年12月号 特集 ジャック・デリダ

青土社

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斬新なフッサール研究者だったデリダが、20世紀後半に脱構築の哲学者として自らの地位を日本で確立したのは「エクリチュールと差異」の2巻本の翻訳が端緒で、「グラマトロジーについて」で不動のものとなる。脱構築もある意味では、「言語論的転回(linguistic turn)」の所産だが、言語の意味と無意味を極限で追求した根源性には、他の哲学者の追従を許さない。
日本には鵜飼哲さんをはじめとしてデリダの高弟が多い。昨年セントルイスでCNNのテロップに流れたデリダの訃報に接したときには、ある面で愕然とした。本特集で鵜飼さんがデリダの教師としての篤実さを述べているくだりには感動した。この対談を読むだけでもデリダがただただ難解と評される哲学だけを語っていたのではなく、哲学の果たす機能の再構築を試み続けた思想家であることを再確認させる特集になりえている。

 

幻想旅行記―グランド・ガラバーニューの旅 (1972年) (ユリイカ叢書)

アンリ・ミショー青土社

青土社

 

現代思想版時増刊ベンヤミン

青土社

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現代思想 (Vol.29-14)

青土社

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複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス) ヴァルター ベンヤミン 晶文社 複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)
ベンヤミンという名前は「パサージュ論」という言葉と一緒に聞いたことがある程度だったが、「アウラ」という言葉は聞いたことがあった。
古来の複製は「模写」や弟子による「模倣」(有名彫刻家の作品は実質弟子が作っていたそうだが・・・)など、時間がかかるものだったり、技術的に完全なコピーは不可能だったりしたが、写真などは現実に見えているものを完全にコピーできるものなので、「芸術とは何か?」という問いはたしかに生まれてくる。写実主義といっても、写真の写実性には到底敵わない。
しかし、写真と絵画は絶対的に違うものだし、映画と演劇も絶対的に違うものだ。その違いは感覚的には理解できているような気がしても、論理的な説明はうまくできないと思う。
複製技術は現実世界としては芸術に大きく影響するとは思うが、それ以上にこの「現実世界そのもの」への影響について考えなくてはいけないのではないだろうか。「マトリックス」のように頭の中の映像として現実世界のコピーがあったり、「平行世界」のような考え方もある。
CDやDVDのように簡単にデータをコピーできるようになり、個人情報保護が騒がれる時代でこのような論はまた新たな意味を持つのではないだろうか。
実際、人物名や引用が多く、言い回しが難しすぎてほとんど理解できていない気がする・・・訳し方にもよるのだろうか・・・?
反解釈 (ちくま学芸文庫)
作品にあらわれる「純粋な、翻訳不可能な、官能的な直接性・・・」
それがいかにそのものであるかに、形式にもっと注目せよ、とのソンタグの忠告。

"この作品が意味するのは・・・"と当たり前のように使っていたが、芸術は
思想や文化に吸収させるべきではないのだ。
「いま重要なのはわれわれの感覚を取り戻すことだ」とソンタグがいうように、
視覚的・感覚的に芸術を理解することをあまりに恐れていたことに気づかされた。

14歳ぐらいのときに読んでいたかったなあ、と思うのです。
ランボー全詩集 (ちくま文庫) アルチュール ランボー 筑摩書房 ランボー全詩集 (ちくま文庫)
ランボーを読むなら、最初はやっぱり小林秀雄でしょう。
次に読むと楽しいのがこれ。
小林で感じて、次はこれで深く読む。
注が興味深く面白いです。たとえば、「地獄の季節」の最初にあるカッコが閉じられていないことについての注。目からうろこでした。
訳もやさしい日本語でとっても読みやすいですよ。小林を読んで、その日本語に苦しんだ人も今度は純粋にランボーを感じられると思います。